2024年
4月
17日
|
13:37
Europe/Amsterdam

寛大な心で健やかな自分に

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当たり前のことでも時には敢えて言葉に表す価値があるものです。誰もがお互いもう少し親切に接することを心がければ、世界はより良い場所になるというのもそんな当たり前なことのひとつです。では、私たちが実際にできることは何でしょうか。

誰もが個人的な幸福を追求する現代では、寛大さは熱帯雨林と同じぐらいの消失の危機にさらされている、とまで言われています。しかし、過去に誰かを助けた経験は誰にでもあるはずです。そして、その人の人生を少しでも楽にできたことに幸せを感じたことは、誰もが覚えているのではないでしょうか。

その記憶は、時間、知識、友情、必要とあらば金銭面においても寛大であり続ける大きなモチベーションとなりえます。寛大であるということは、些細な過ちについては見て見ぬふりをすることです。自分の思い通りにならない時もあると受け入れることです。急いでいる人がいたら道を譲る、それも寛大であればできることです。 相手を思いやる広い心は、声高に言われはしないものの、今を生きる私たちに必要とされている資質ではないでしょうか。

思いやりの心を広げるのは簡単なことです。

コーネル大学による2012年の論文の中で「ペイ・フォワード」と呼ばれる現象について記述があります。例えば、コーヒーを買うために並んでいるところを想像してみて下さい。あなたが次の人の分も支払うと、その人はそのまた次の人の分を支払い、その人も・・・とどんどん続いていきます。実は2012年にカナダのドライブスルーでこれと全く同じことが起きました。226人の客が自主的に次の客の料金を支払ったのです。このすばらしい実話は、寛大な行動が人から人へと広がりやすいことを明示したと言えるのではないでしょうか。 ((https://www.nytimes.com/2014/03/16/opinion/sunday/the-science-of-paying-it-forward.html))

行動の伝染というのは興味深い考え方で、寛大さと関連付けられることの多い互恵関係という概念に新たな視点を与えてくれます。互恵関係には恩は返さねばならないとう感情や、返されることを期待する感情があります。それは恩を与える者と受ける者との間にある直接的な関係で、寛大さが伝染していくこととは違います。その違いが分かるでしょうか。

困難な時期に助けてもらったのでその恩を返したいというのも互恵関係です。慈善事業でボランティアをしたり寄付をしたりするモチベーションとしてすばらしいことです。しかし人に何かしてあげることを義務と感じたり、恩は売っておくものだという動機があったりするのなら、自分が何かを差し出す理由について、一歩下がって考え直すよい機会かも知れません。何かもらったからお返しをしなければ、というだけの理由でプレゼントを買いに出かけたことはありませんか。特別な誰かのためにワクワクしながら選ぶのではなく、お返しの義務感で買ったプレゼントが過去にどれくらいあったでしょうか。

それに対し、あなたが自発的に誰かのためになることをした時、それを目撃しインスピレーションを受けた別の人がまた別の誰かに優しくする、そんな間接的な思いやりの連鎖が起きたとしたら、すばらしいと思いませんか。

本当の幸福は、見返りを期待せずに惜しみなく与えることから得られるのです。 ((https://www.swissinfo.ch/eng/sci-tech/warm-fuzzy-feeling_being-generous-makes-you-feel-happier-a-study-reveals/43325688))

寛大さはいろいろな方法で実践できます。誰かにアドバイスを求められたら相談に乗ってあげましょう。子どもたちへの読み聞かせやお年寄りとの交流など、ボランティア活動に貢献するのもよいでしょう。レストランや商品のレビューを書いたり、オープンソースのソフトを無料で作ったり、タイヤがパンクして困っている人を助けたりもできます。悩み事を打ち明けたいと思っている人がいたら、ただ黙って耳を傾けるだけでその人の心が軽くなるかもしれません。

何の見返りも求めず、ただ人の話に耳を傾けたことに満足して帰路につけたなら、本当の意味で寛大な行為をしたということです。そして誰かに与えたこのすばらしい贈り物が、自分自身に深い喜びをもたらしてくれるでしょう。

他人を寛大な気持ちにするのは難しいことではありません。私たち自身が寛大であればよいのです。これが世界に善を広げるのに最適な方法ではないでしょうか。

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